神武景気から始まる好況の波で急成長
1955(昭和30)年の神武景気から始まる日本経済の活況は、1973(昭和48)年のオイルショックまで続き、この間、当社も急速な業容の拡大を達成しました。急成長を支えたのは、「ASA-Aノーズ」「ASA-Lノーズ」用直装型チャック、ツーピースジョウチャックなど、新商品の開発投入でした。これに加え従来商品の増産、それに伴う設備投資により、会社設立時1945(昭和20)年の資本金100万円は、増資に次ぐ増資で1974(昭和49)年には1億188万円と飛躍的に増加。従業員数も1964(昭和39)年には279名と、ピークに達しました。
1962(昭和37)年11月、創業者・寺坂清五郎社長(当時)の胸像が本社前庭に建立されました。この胸像は、JR久宝寺駅前の現本社に引き継がれています。1966(昭和41)年、寺坂清五郎は、数々の功績により勲五等双光旭日章を授与されました。
海外同業社との技術提携でレベルを高め、成長に弾みをつける
日本は1968(昭和43)年、GNPで世界第2の大国となりました。当社もパワーチャックのニーズが高まってきたことから、1965(昭和40)年、英国バーナード社との間で海外初の技術提携を行い、マルチサイズコレットチャックの製造・開発に着手しました。さらに1969(昭和44)年、米国N.A.ウッドワース社(現フォルカルトハーディンジ社)とも技術提携。同社が独占権を持つ揺動式UBL(ユニバーサルボールロック)チャックとダイヤフラムチャックのアジア地区ライセンスを取得。生産に着手しました。やがてこのウッドワースチャックが大きく花開くことになるのです。
1973(昭和48)年8月、寺坂清五郎社長死去(享年82歳)。同年9月、第2代代表取締役社長に寺坂哲一が就任しました。同年10月に始まったオイルショックを契機に日本経済は不況に突入、当社も債務返済のため本社敷地の半分強を手放し、リストラと一部帰休の実施で経営危機を乗り越えなければなりませんでした。