寺坂清五郎 生い立ちと向学の道
帝国チャック株式会社創業者・寺坂清五郎は、1892(明治25)年11月10日、兵庫県の淡路島南部(現洲本市畑田組)の山村で生まれました。生地は紀伊水道が眼前に広がる断崖絶壁の地。いまでこそ県道76号線が南淡路水仙ラインという観光道路として海岸沿いを走っていますが、当時は波止場もなく、崖にさえぎられて船も近寄ることができない僻地でした。若者たちは次々と村を離れ都会へ出ていきました。
清五郎もその一人で、12歳の時、大阪・堺で鍛冶屋を営む叔父の所に奉公に出ました。しかし、物造りに興味を持ち、やがて叔父の家を飛び出し、鋳造所で鋳造技術を、鉄工所で加工技術を習得。縁あって浪速区で波田徳松氏が経営する波田鉄工所に入社しました。ここで夜は難波実業補習学校の機械科に通って工業技術の習得に努めました。
チャック国産化の嚆矢となる
1913(大正2)年、当時アバーター社の代理店であった牧野氏から米国クッシュマンタイプのスクロールチャックの製造委託を受けます。クッシュマンは米国有数のチャックメーカーで、清五郎はこのチャックを見本に開発に取り組み、ついに翌1914(大正3)年、日本初となる国産スクロールチャックを完成させました。
折しも同年7月には第一次世界大戦が勃発。欧米先進国からの輸入が止まり、同盟国からは船舶などの機械製品の補給を求められ、日本の機械工業の発展を促すこととなりました。