激動期 1937 ▶︎ 1944

日中戦争・太平洋戦争の荒波に翻弄され、
社員7名にまで激減。

厳しい戦時統制のもと生産拡大

1937(昭和12)年、日中戦争が勃発すると、翌年には国家総動員法が施行され。国の産業界に対する軍部を中心とした政府の統制色が、次第に強まっていきました。

1941(昭和16)年、戦局は太平洋戦争へと拡大。戦局の激化につれ軍需生産への要請は極めて厳しいものがありました。当社も日夜生産に次ぐ生産を強いられる厳しい情勢の下、1942(昭和17)年に大阪チャック製造所を買収、翌年には月産3000台の目標を達成しました。

鋳造現場の写真
鋳造現場

「帝国チャック株式会社」戦時下で設立

1944(昭和19)年、戦局は日本にとって破滅的となる中、当社に常駐する陸軍監督官の勧めにより株式会社に組織変更することとなりました。同年12月18日、大阪府中河内郡久宝寺村大字久宝寺1949の2(現在の八尾市北久宝寺)の寺坂鉄工所本社で、発起人総会(発起人=寺坂清五郎、辻虎太郎、寺坂虎藏、山本仁兵衛、松本万次郎、和田一三、藤井純)が開催され、1945(昭和20)年4月13日に寺坂鉄工所、松万鉄工所の業務一切を継承する形で「帝国チャック株式会社」が設立されました。本社所在地は、発起人総会開催地と同じとし、取締役は社長寺坂清五郎以下6名。従業員は約250名でした。

帝国チャック株式会社 発起人総会議事録の写真
帝国チャック株式会社 発起人総会議事録

終戦で操業停止、再開時従業員は7名に

1945(昭和20)年8月15日、戦争終結。軍需工場に指定されていた当社はアメリカ進駐軍によって操業停止を命じられ、250名あまりの社員も多くが離散の憂き目にあうこととなりました。まさに断腸の思いでした。創業再開に着手できたのは12月のこと。残った従業員は寺坂清五郎社長を含め、たった7名だけとなっていました。